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無題

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今見えている物が『本物』なのか私が人間である限りわからない。

私にとっての『赤』という色の認識は他人にとっては『赤』でないのかもしれない。

視覚のない人に『赤』の概念を教えるようなものだ。

各個人の眼によってそれは青であったり、または緑だったりするのかもしれない。

私はそれを表現する言葉を持ち合わせていない。


昔、私は「目がレンズの役割をしているのであればいま観ている風景は上下が反転しているのではないか」と

考えたことがある。

そうなると地球がひとつの球体状の空間でありその中心に無限の宇宙が凝縮されていることになる。

しかし、それだと向こう側が見えるはずだ。

私の中での夢物語だったのである。


事実、私たちが見ている『人』は定義の中での『人』である。

近いからと過去の事実から私たちの今が分かるわけではない。

過去はひとつの過程の結果であり、『今』の事実ではない。

類人猿がほんとに存在したなど、誰も証明できない。

骨が発見されたからと言って、血肉を見たわけではない。

すべてが仮定のなかでの事実であり、本当の意味での事実ではない。

しかし、世の中には『事実の事実』など存在するわけもなく、

なぜかそれが成り立っているのである。

自分の拳を握りしめたとき、それが『握られた』という認識があって初めて、『握り締めて』いるのである。

認識の仕方によって物事は決まるし、常識が形作られていくのである。

そこにいる『人』は本当にあなたにとって『物』じゃないと言い切れますか?

友達が一つのコミュニティーであるとするならば、それは自分達の成長の『教材』であって

社会で必要なことを学ぶ『物』でしかない。

結局のところ、『人』も『物』としての認識を向けられるひとつの対象なのである。
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